昨年の今日、信じられないような出来事が起こりました。
あれから1年が過ぎ、各地で黙祷が捧げられ、多くのイベントが開催されました。
ここ渡嘉敷島でも復興を、そして亡くなった方の冥福を祈りイベントが行われました。
涼太も空手で参加しました。
僕は2時前頃一人でビーチへ降り、波打ち際で手を合わせてきました。
テレビのニュース番組でアメリカの支援や、当時の様々な詳細を知り、涙が出て来ました。
正直、僕は去年、自分のことで精一杯でした。
突然妻を亡くし、3人の子供を育てることしか頭になく、義援金を寄付しただけでした。
むしろ多くの方の不幸を知り、苦しいのは自分だけじゃないと勇気づけられたくらいでした。
また人間は本当に小さいと実感した出来事でもありました。
自然と共に生きることの大変さや、難しさは自分の生活でもわかっているつもりでした。
しかし、この災害で本当に人間にはどうすることもできないことを目の当たりにしました。
人の一生も大きな出来事です。
愛する人のために、そして自分のために頑張ってきた日々。
それを突然、家族を失った方、職場も仲間もなくした方、全財産をなくした方・・・
でもどうすることもできない力の大きさに圧倒された感じでした。
人間が作り出した原子力により、豊かな生活を手に入れたつもりでした。
しかし、自然に逆らって作り出した物に今苦しめられています。
やはり、自然に感謝して、生かしてもらう謙虚さが欠けていたような気がします。
もう一度、都会の人も地方の人も差がなく自然に感謝しなければいけないと思います。
一昨年、僕も子供が生まれる幸せと、妻を亡くした不幸を同時に受けました。
その衝撃は今も癒えることなく体内にくすぶっています。
きっと被災地の方々も笑顔の奥ではきっと涙を堪えていることでしょう。
それでも多くの支援が人々を笑顔にし、希望を見いだす手だてとなっているのは間違いありません。
僕も、そして3人の子供たちも多くの方の支援、励ましがあって今日まで来れたことは言うまでもありません。
その感謝を今日、寝る前に子供たちに話しました。
涼太には感謝の気持ちを持って、自分が大変だと思うときには、もっと大変な人がいることを思い出してがんばりなさいと伝えました。
美涼にはたくさんの人が美涼を大切にしてくれるよね。だから美涼も人に優しく、そしていつもありがとうを言えるようにしなさいと伝えました。
子供たちに言い聞かせている言葉は自分への言葉でもあります。
態度や言葉できちんと感謝して、自分がするべきことをがんばっていく。
それが残された人生の一番大切なことだと思っています。
そして、
最後に涼太にだけ、
どんな大人になってもいいから、人のためにがんばれる男の子になりなさいと言いました。
それだけが父として子供に期待したいと思っています。
多くの方がつらい日々をいつか心の支えにできる日が来ることを祈っています。